11日はいつもどおり、会社の自席で仕事をしていた。そして午後3時少し前に、ふと誰かの携帯から警報のような音が聞こえた。
「ん?」と思い、皆が振り返った、その数秒後に激しい揺れに襲われた。最初は強い地震だな程度に思い、最近地震が多かったからねぇと思っていたが、徐々に強さが増して尋常じゃない揺れが長時間続き、これは大変なことが起こっていると思った。自席のパソコンは途中で電源が切れ、画面は真っ暗に。また、揺れによって会社の棚からはモノが落ちまくり、キャビネットが開いて書類が落ちて散らばり、机上のものも床に転がっていった。ロッカールームを覗くと、重いロッカーが移動してズレまくっていた。携帯からの警報のような音は、ドコモの地震警報のサービスらしい。初めて聴いた。
揺れが落ち着いてくると社内放送で「避難してください!」と緊急放送があり、階段を使って会社の前に避難。会社前に集まって社内の状況を確認している間も、余震を頻繁に感じた。しかも、結構でかい余震。さらに消防車のサイレンが市内に響いているのが聞こえた。
とりあえず社内に異常がないことを確認してから自席に戻り、客先に連絡しようとしたが電話が通じない。停電によってパソコンも起動せず、もうどうしようもない状態。自宅へ連絡して安否を確認しようと思ったが、携帯も通話・メールとも全く通じない状態。そうこうしている間も結構大きな余震が頻発に発生し、社屋がグラグラ揺れる。幸い、社内は非常電源によって照明が着いていたのが救いだった。
会社からも業務に支障がない人は自宅に戻って状況を確認するよう指示があったので、自宅へダッシュ。途中、明治橋の交差点に差し掛かると、信号が消えており、雪が降りしきる中、お巡りさんが交通整理してる。停電で完全に町の光は失われたようだった。

帰路の途中、消防車のサイレンが遠くから聞こえ、救急車は2台ほど見かけた。どこかで何かが起こっている模様。
家に帰って状況を確認したが、モノが落ちることもほとんどなく、被害はなかったようで一安心。家族も当然ながら無事。
ただ、停電によって照明が全く点かないし、テレビも見れない。我が家はオール電化なので、電気がないと完全に機能がマヒする。水が断水しなかったのは救いで、急いでヤカンや鍋、風呂などに水を確保した。
晩ご飯は、地震発生後に嫁さんが近所のサンクス向中野店にダッシュして買ってきたパン。サンクスでも当然ながら停電しており、店員が電卓で計算しながら販売していたとか。
夜になり、照明がないので明かりは懐中電灯のみ。こんな夜を過ごすのは初めてだ。しかも、暖房がないので寒い・・・。一応蓄熱暖房で蓄熱されているので、ほんのり暖かいんだけど、ファンが回らないので家の中を十分に暖めることはできなかった。
我が家は電気温水器なのでタンクにお湯が貯めてあることから、かろうじて蛇口からはお湯が出た。ただ、電源が入っていないので、風呂を入れたり、シャワーを浴びれるほど熱いお湯を出すことが出来ない。しょうがないので風呂なしだ。
地震の被害状況を知る手段はラジオのみ。ラジオでひたすら状況を聴き続けたが、徐々に被害の状況が明らかになるにつれて、沿岸はとんでもない悲惨な状態であることがわかってきた。大船渡市や陸前高田市は壊滅状態だとか・・・信じられない。
暗いし寒いし、テレビも見れなくてやることがないので、早めに家族で就寝。と思ったら、会社から呼び出しがあり、急いで出社して緊急作業。
会社への行き帰りは自転車で行ったのだけど、家もお店も真っ暗で、街灯も信号まで消えているので、もう街は真っ暗。自転車のライトをこんなに明るく感じたのは初めてだった。
帰宅途中、自宅近くのファミリーマートに寄ってみたら営業していなかった。が、サンクス向中野店は営業していた!どうやら発電機を導入して、かろうじて営業している模様。まるで暗闇の中のオアシスを見つけたような気分だ。

店内に入ってみると、人がいっぱいでレジには行列が。店員に話を聞いたところ、もうご飯類とパンとカップ麺は売り切れで、残るはお菓子のみとのこと。う〜ん、お菓子は家にあるので、それじゃぁいいですということで店を出た。でも、この状況で営業を続ける根性はすごいし、ありがたい。
しかし、大地震発生後、相変わらずしょっちゅう余震が来る。おかげで夜はあまりよく眠れなかった。
地震翌日、朝起きてもやはり停電は復旧していなかった。しょうがないのでまたラジオをかけて被害状況を聴く。東北電力からのお知らせでは、停電復旧の目処は全く立たないとのこと。このままぼーっと家にいてもしょうがないし、この状態がしばらく続く可能性があるとしたら食料の心配も出てくるので、とりあえずどこかお店がやっていないか探索に行くことにした。自転車で家を出たのは8時半頃だ。
サンクスは昨夜の状況から在庫は変りないだろうから、とりあえずファミリーマートへ行ってみたら、入り口に店員が立っており、「すいません、今日はもう終わりです」とのこと。ちらっと店内を見ると、お弁当コーナーは空っぽだった。
次にセブンイレブンへ行ってみたら、入り口に「お休みします」の張り紙が。開店早々にこんな事態になるなんて、気の毒だな。

こうなったらイオン盛岡南へ行ってみれば何かあるかもしれないと思い、足を伸ばしてみた。
最初に店の裏に行ってみたが、人がまばらにいるくらいで、特に何もやっていない様子。そこで店の表に回ってみたら、すごい行列が・・・。

お店の中での販売は休みだけど、正面入口の前に商品を並べて販売を行っていた。ありがたい。それに、まだ9時前だというのに必死でがんばっている店員さんは、本当ご苦労様だ。

とりあえず列に並ぶ。
30分程度並んで、やっと買い物できた。商品はカップ麺、ソーセージ、水、お茶、電池、ホッカイロ、缶詰、ロウソク、バナナ、みかん、いちご、お菓子、カセットボンベ、粉ミルクやオムツなどなど。次から次と店内から持ってきて補充していたので、在庫のある限りは販売するのだろう。
とりあえずカップ麺をたくさんとソーセージ、電池、バナナ、みかん、缶詰などを購入。価格は50円、100円、200円のみに統一されており、最後の計算は店員さんが暗算で行っていた。
帰り際に列を見たら、自分が並んだときよりもさらに長い行列が出来ていた。おまけに駐車場に入るための車が大渋滞。こりゃ大変だ・・・。
イオン向かいのホーマックに寄ってみたら、店内倒壊により臨時休業とのこと。電池とかコンロのカセットボンベとか買えたら買おうと思っていたのに。同じような考えの人もいて、ポツポツと人が訪れては諦めて帰っていた。

お昼ごはんはカセットコンロで米を炊いたり、味噌汁を作ったり出来たので、なんとか暖かい食事を十分に取ることが出来た。
午後になっても相変わらず停電は続いていたが、ラジオの情報によると市内では徐々に電気が復旧しているとのこと。ということはもうすぐ我が家にも電気が戻ってくるという期待が。しかし、夜になっても停電は復旧せず、またしても懐中電灯で夜を過ごした。当然ながら風呂にも入れず、相変わらず頻繁に余震がやってくる状況。新聞によると、1ヶ月は余震が続く可能性があるとか・・・。
しかし、夜通しラジオでは震災関連の情報が流れているのだけど、しょっちゅう安否を確認するための伝言のようなものをアナウンサーが読み上げる。固定電話や携帯電話が使えない状況では、連絡を取る手段がなく、ラジオを通じて無事を伝えたり、無事なのかどうかの確認を呼びかけたりするわけだ。震災のときは、こういう放送が流れるのか・・・と聞き入ってしまった・・。
そして、現地から盛岡へ移動してきた人々が、現地の悲惨な状況をいろいろと報告して救助を訴えていた。その内容を聴いていると、本当に一刻も早く救援しなければやばいという気持ちでいっぱいになる・・・
そして今朝になっても停電は復旧せず。数百メートル離れた友人宅では昨夜のうちに復旧したというのに、なぜに我が家は復旧しないのか、なんて思ってみたり。
午前中は仕事で出勤。停電によりダウンしていた機器の復旧作業にあたる。さらに客先を訪問し、被害状況を確認しつつ復旧作業。明日からも被害状況の確認と、復旧作業が続くことだろう。
そうこうしているうちに嫁さんから電気が来た!とのメールが。午前中に何とか停電が復旧して良かった。
帰宅後にテレビを見て、改めて被害の大きさや沿岸の詳しい様子を知った。自分も沿岸地域に住んでいる親戚がいるが、まだ安否は不明だ。周りでも友達や親戚、知人などが沿岸地域に住んでいる人も多くいるので、安否が非常に気になる。そして、沿岸地域が今後、また復興して元気になってくれるのか心配なところ。
今回の地震は、今までの人生で経験したことのない震災となってしまった。きっと、一生忘れられないだろうな・・・。